東海、京都の隠れた名所
東海地方や、京都を旅行した際に見つけた 隠れた名所(旅行雑誌等にあまり掲載されて いない処)をご紹介します。興味の ある場所がありましたら、是非訪問下さい。
2018年8月23日木曜日
28)京都迎賓館
28)京都迎賓館(京都御苑)
総工費208億円をかけて、建設した京都迎賓館は、京都御苑
の中にあります。敷地面積2万平方メートル(6700坪)。
建物は入母屋造り平屋にて、延べ面積は1万6000m²。
その日本庭園を囲むように、和風の大広間や晩餐室、国際
会議に対応する大会議室を備えています。
柱や天井、廊下には杉や檜の部材、内装には漆塗りや
「きりがね」など京都の伝統芸術をふんだんに採用して
造られています。
また、日本庭園にも伝統的な造園技術を用いています。
とにかく、国内外のVIPをもてなす場所として、和の建築
の粋を結集した建物になっています。
2018年8月22日水曜日
27)将軍塚青龍殿_京都
27)青龍殿_京都(京都市山科区厨子奥花鳥町28)
地下鉄東西線・蹴上駅からタクシー5分(京都駅からタクシー20分)で、
京都市内を一望できる東山山頂の「青龍殿」に到着します。
ここは、青蓮院の飛び地にて、2014年に「青龍殿」「大舞台」が建立
されました。
その「大舞台」は、清水寺の舞台の4.6倍の広さです。
よって、その眺望は、何とも言えないぐらいの絶景です。
(尚、「大舞台」写真の中のガラス茶室は今は有りません)
また、「青龍殿」内部には、「青蓮院」から移された「国宝・青不動明王」
図が展示されており、是非、拝観して頂きたい場所です。
地下鉄東西線・蹴上駅からタクシー5分(京都駅からタクシー20分)で、
京都市内を一望できる東山山頂の「青龍殿」に到着します。
ここは、青蓮院の飛び地にて、2014年に「青龍殿」「大舞台」が建立
されました。
その「大舞台」は、清水寺の舞台の4.6倍の広さです。
よって、その眺望は、何とも言えないぐらいの絶景です。
(尚、「大舞台」写真の中のガラス茶室は今は有りません)
また、「青龍殿」内部には、「青蓮院」から移された「国宝・青不動明王」
図が展示されており、是非、拝観して頂きたい場所です。
2018年8月21日火曜日
26)六波羅蜜寺_京都
26)六波羅蜜寺(京都市東山区五条通大和大路上ル東)
六波羅蜜寺と云えば、あの有名な「平清盛像」と「空也上人像」が宝物館に
展示されています。本物の写真は撮影禁止ですが、説明の為の案内文があり
ますので、雰囲気を感じて下さい。
ところで、「六波羅蜜寺」は、創立当初、「西光寺」と呼ばれていました。
「空也上人」が亡くなった後、その弟子が「西光寺」があった地域名
「六原(ろくはら)」と仏教用語「六波羅蜜」にかけて、「六波羅蜜寺」
と呼ばれるようになりました。
尚、「6つの波羅蜜(はらみつ)」とは、他者を救済し、悟りを開く為の
6つの実践法を意味しています。
1)布施波羅蜜(ふせはらみつ):欲を捨て、物惜しみせず施すこと。
2)持戒波羅蜜(じかいはらみつ):五戒(決まり事)を守ること。
3)忍辱波羅蜜(にんにくはらみつ):苦難に耐えること。
4)精進波羅蜜(しょうじんはらみつ):怠けないこと。
5)禅定波羅蜜(ぜんじょうはらみつ):心を落ち着け集中すること。
6)智彗波羅蜜(ちえはらみつ):道理を理解すること。
これら6つの波羅蜜(悟りを開く為の実践方法)の事を合わせて
「六波羅蜜」といいます。「空也上人」の思いが伝わってきます。
六波羅蜜寺と云えば、あの有名な「平清盛像」と「空也上人像」が宝物館に
展示されています。本物の写真は撮影禁止ですが、説明の為の案内文があり
ますので、雰囲気を感じて下さい。
ところで、「六波羅蜜寺」は、創立当初、「西光寺」と呼ばれていました。
「空也上人」が亡くなった後、その弟子が「西光寺」があった地域名
「六原(ろくはら)」と仏教用語「六波羅蜜」にかけて、「六波羅蜜寺」
と呼ばれるようになりました。
尚、「6つの波羅蜜(はらみつ)」とは、他者を救済し、悟りを開く為の
6つの実践法を意味しています。
1)布施波羅蜜(ふせはらみつ):欲を捨て、物惜しみせず施すこと。
2)持戒波羅蜜(じかいはらみつ):五戒(決まり事)を守ること。
3)忍辱波羅蜜(にんにくはらみつ):苦難に耐えること。
4)精進波羅蜜(しょうじんはらみつ):怠けないこと。
5)禅定波羅蜜(ぜんじょうはらみつ):心を落ち着け集中すること。
6)智彗波羅蜜(ちえはらみつ):道理を理解すること。
これら6つの波羅蜜(悟りを開く為の実践方法)の事を合わせて
「六波羅蜜」といいます。「空也上人」の思いが伝わってきます。
25)幽霊子育て飴_京都
25)幽霊子育て飴(京都市東山区松原通大和大路東入2丁目轆轤町80番地の1)
幽霊子育て飴の話は、ご存じでしょうか?
よく怪談話で、話されるお話ですね。その飴屋さんが、「六道珍皇寺」の
傍にあります。
そのお話は...墓地の近くのある店に、毎晩、女が飴を買いに訪れました。
ある夜、飴の代金を入れる銭箱の中に、しきみの葉(墓へ供える植物)が
入っているのを見た主人は、不審に思って女の後をつけました。
すると女は姿を消して墓地に消えました。
翌日墓地を訪れてみると、地面から赤子の泣き声が聞こえます。住職と
主人はその墓を掘り返すと、赤子が飴をしゃぶっていたのです。
それ以降、女が飴を買いに来ることはなくなりました。
また、赤子は後に「六道珍皇寺」の僧侶になったと伝えられています。
幽霊子育て飴の話は、ご存じでしょうか?
よく怪談話で、話されるお話ですね。その飴屋さんが、「六道珍皇寺」の
傍にあります。
そのお話は...墓地の近くのある店に、毎晩、女が飴を買いに訪れました。
ある夜、飴の代金を入れる銭箱の中に、しきみの葉(墓へ供える植物)が
入っているのを見た主人は、不審に思って女の後をつけました。
すると女は姿を消して墓地に消えました。
翌日墓地を訪れてみると、地面から赤子の泣き声が聞こえます。住職と
主人はその墓を掘り返すと、赤子が飴をしゃぶっていたのです。
それ以降、女が飴を買いに来ることはなくなりました。
また、赤子は後に「六道珍皇寺」の僧侶になったと伝えられています。
2018年8月20日月曜日
24)六道珍皇寺_京都
24)六道珍皇寺(京都市東山区大和大路通 四条下ル4丁目小松町595)
冥界への入り口(六道の辻)に建つこの寺は、特異な雰囲気を醸し出して
います。特に、お盆の時期だからでしょうか.....
「六道」とは、仏教の教義でいう地獄(じごく)道・餓鬼(がき)道・
畜生(ちくしょう)道・修羅(しゅら)道・人道(人間)・天道の六種
の冥界をいい、人は因果応報(いんがおうほう)により、死後はこの
六道を輪廻転生(りんねてんせい)するといわれています。
この六道の分岐点で、この世とあの世の境の「辻」が、古来よりこの
寺の境内あたりであると云われ、冥界への入り口と信じられてきました。
特に、かの「小野篁卿」が夜ごと、冥府通いの為、この寺の本堂裏庭に
ある「井戸」を、その入り口に使ったことと伝えられています。
そのため、この寺には、「小野篁卿
」の像が、祀られていり、お参りが
出来るようになっています。
冥界への入り口(六道の辻)に建つこの寺は、特異な雰囲気を醸し出して
います。特に、お盆の時期だからでしょうか.....
「六道」とは、仏教の教義でいう地獄(じごく)道・餓鬼(がき)道・
畜生(ちくしょう)道・修羅(しゅら)道・人道(人間)・天道の六種
の冥界をいい、人は因果応報(いんがおうほう)により、死後はこの
六道を輪廻転生(りんねてんせい)するといわれています。
この六道の分岐点で、この世とあの世の境の「辻」が、古来よりこの
寺の境内あたりであると云われ、冥界への入り口と信じられてきました。
特に、かの「小野篁卿」が夜ごと、冥府通いの為、この寺の本堂裏庭に
ある「井戸」を、その入り口に使ったことと伝えられています。
そのため、この寺には、「小野篁卿
」の像が、祀られていり、お参りが
出来るようになっています。
23)さざれ石【君が代】_京都・下鴨神社
23)さざれ石(下鴨神社:京都市左京区下鴨泉川町59)
「君が代」の歌詞にある「さざれ石」を下鴨神社で偶然、
見つけました。場所は、南口鳥居を通ると直ぐ、左側に「さざれ石」
があります。この君が代に記された「さざれ石」の意味は、「小さな
石が、集まって大きな石になるように」、つまり「結束し、協力し
あい、団結して」や「今は小石でもあるものが時代を経て、集まって
大きな岩となり」という意味もあるようです。
このさざれ石は、下鴨神社の七不思議「鴨の七不思議」の一つに
数えられる神聖な石として崇められています。
尚、今年は下鴨神社では、光アート展として、不思議な白い風船の
ような玉(直径1m程)が多数、置いて有りました。夜になると
いろいろな色に輝くようです。
「君が代」の歌詞にある「さざれ石」を下鴨神社で偶然、
見つけました。場所は、南口鳥居を通ると直ぐ、左側に「さざれ石」
があります。この君が代に記された「さざれ石」の意味は、「小さな
石が、集まって大きな石になるように」、つまり「結束し、協力し
あい、団結して」や「今は小石でもあるものが時代を経て、集まって
大きな岩となり」という意味もあるようです。
このさざれ石は、下鴨神社の七不思議「鴨の七不思議」の一つに
数えられる神聖な石として崇められています。
尚、今年は下鴨神社では、光アート展として、不思議な白い風船の
ような玉(直径1m程)が多数、置いて有りました。夜になると
いろいろな色に輝くようです。
2018年8月19日日曜日
22)阿弥陀寺_京都・寺町通り
22)阿弥陀寺(京都市上京区寺町通今出川上ル鶴山町14)
寺町通りにあるこの阿弥陀寺は、「本能寺の変」【1582年6月2日】の際
「織田信長公」のが討たれると、清玉上人が自ら現地に赴いて「信長公」
の遺灰を持ち帰って、密に埋葬したと伝えられているお寺です。
更に、その嫡子「信忠公」や「本能寺の変」の名の分からない犠牲者も
多数埋葬したと云われています。
そして、毎年「本能寺の変」の6月2日には法要が取り行われています。
(一般の方も参加可能です)
今回、阿弥陀寺にて、信長公のお墓に、お参りしてきましたので、写真を
貼り付けます。
寺町通りにあるこの阿弥陀寺は、「本能寺の変」【1582年6月2日】の際
「織田信長公」のが討たれると、清玉上人が自ら現地に赴いて「信長公」
の遺灰を持ち帰って、密に埋葬したと伝えられているお寺です。
更に、その嫡子「信忠公」や「本能寺の変」の名の分からない犠牲者も
多数埋葬したと云われています。
そして、毎年「本能寺の変」の6月2日には法要が取り行われています。
(一般の方も参加可能です)
今回、阿弥陀寺にて、信長公のお墓に、お参りしてきましたので、写真を
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